広島ライフ2018④〜西日本豪雨

7月。広島ライフも早3ヶ月が過ぎようとしていた。オカメの抱卵も終了。本来3週間くらいでヒナが孵化するが、孵らないタマゴと察すると諦めるのだ…(賢い)

新生活にも慣れ、ヒマだと家二郎作っちゃうしDA PUMP観てばっかりだし、そろそろ仕事探そうかな〜?と思った矢先に、あの西日本豪雨が…!

7/5からずっと続くひどい雨。7/6はオウム関係者の死刑執行ニュース、7/7は歌番組にDA PUMPが出ると言うので、朝から晩までずっとテレビにかじりついてたこのはむらび。

凄まじい雨量となった7/7の夜。避難を促す防災放送が町内に流れていたが雨音でよく聞き取れず。一応マンションの駐車場を確認。いつも通り帰宅した住民達の車が停まっており、辺りを見渡しても人や車が往来してる気配がない…。周囲の家々の灯りもついてて、みんな在宅してるようだ。ん〜???じゃあ大丈夫じゃね?となり、DA PUMPも見届け満足したので、危機感がないまま眠りについた。

そして目覚めたらこの騒ぎ。

三原市全域が断水していた。川が氾濫し取水場施設のある地区が水没したと…。(※7/7に断水、完全復旧したのは7/30でした)

市内のスーパーやホームセンターから、日持ちする食料や給水用ポリタンクの在庫がすでに消えていた。関東にいる親や友達からもガンガン安否確認のLINEが入る。自分の住んでるとこは平気、とひたすら返信。あれー…?なんか本当にヤバいぞ……(被災地ど真ん中にいるのに未だ実感がわいてない)

なんと呑気なことでしょう…。私達が住む東側のごく一部のエリアだけなぜか水源が異なり、奇跡的に断水を免れたので、いつも通りの生活が出来ていました。それ故に、あまり逼迫した状態にはならず…。テレビの報道でようやく状況を理解しました。

国道は生きていたので、パトロールがてら三原市から車で小一時間ほど離れた広島県の最東端の都会・福山市まで移動。こちらも水源が違うから、いつも通りの日常風景だった。まるで『北斗の拳』で出てきた中央帝都のように煌びやかに見えた…。

どこまで呑気なのでしょう……。水が無事な地区だったので、我々のマンションでは建物のエントランスに設置された水道を自由解放(オーナーのご厚意)。近所の神社、井戸のあるお宅なども「お水ご自由にどうぞ」と、みんなで協力し水を分け合っていました。我が家も現地に知り合いがいたら、お風呂や洗濯機を貸したのにな…。新しい人間関係もろくに築けていないタイミングでのこの被災よ……。

実は4月の家探しの際、もうひとつ内覧した物件が、水没した地区に近い場所でした。市街地から遠かったのを理由に見送ったのですが、運命の別れ道って本当にあるんだ…と今さらながら思います。

市内の様子をちょこちょこ呟いてましたが、国道が生きてたおかげで物資の調達、補給は割と早かった印象。しかし夏場の長期断水…。これは本当にしんどかったと思います…。うちの近所のコインランドリーは動いてたので、常に長蛇の列。国道には物資や土砂を運ぶトラック、自衛隊の車両がずっと行き交ってました。7/13には防衛省がチャーターしている「はくおう」が入浴支援で糸崎港にやってきました。とても大きなフェリーで1回入ってみたかったけど、ただの冷やかしになるので遠目から見るだけにしました。

そして私はどこまでも呑気なのだった……。